毒親な母

毒親のお話

昔は毒親という言葉がなかったですね。初めてこの言葉を知った時、「うわぁ~うちの母だわ」って思いました。我が家だけがおかしいと思ってました。でも他の家庭でも、毒親育ちっていたんですね。

母は「女に学歴は必要ない」とよく言いました。女の子は高校を卒業したら数年腰かけ的に働いて家庭に入る。そう言ってました。

私は「100人いたら100通りの人生があるはずだ」と反抗していました。どうしても進学に反対する母。新聞奨学生の資料を取り寄せたら怒鳴られました。「奨学金で大学に行くなんて恥ずかしいことするな」と。

母が模擬試験の費用を出してくれず、クラスでただ一人、模擬試験を受けなかったときは恥ずかしかったなぁ。子どもの頃は、こんな恥ずかしくて悔しい思い出がいっぱいです。

ちなみに40代になってから、通信制の大学へ入り5年半かけて卒業しました。働きながらの勉強は本当に大変でしたが充実していました。土日のスクーリングは体力的にも大変でした。朝から晩まで授業、月曜日は出勤。そして平日もレポートを書く日々。たくさんの本を読み、図書館にもお世話になりました。そして手にした大学の卒業証書は本当に嬉しいものでした。

スクーリングでは様々な地方から来た、様々なバックグラウンドの人と出会えました。これも貴重な体験でした。

私は毒親育ちなので自己肯定感が低いです。そもそもないのでは…?でも自力で通信制の大学を卒業したことはちょっとだけ私が私に自信を持たせてくれました

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